書き散らしー に来た

書き散らしに来た。

結構向こうにもたくさん書くようになった。
長文書くと、めちゃ縦長になるが。。。

ブクマからはてなダイアリー(ブログに名称変更)に行くと、みなさん趣味がよろしいので、感心して、自分のが恥ずかしくなってくる。。。(><)


二つ目のは、まだいい。

これを、どうするか

やっぱりデザインは放置で書きやすさ、読み易さか

字が大きい方が読みやすい


青がいいかと思ったけど、白っぽいページも、他の人の見てたら、良いように見えた。
しかし、しかし、ただ白いんじゃないんだ。なんていうか趣味がいいんだ。
自分じゃまねできない。

もらっていいテーマから選ぶという方法もあるが、テーマはテーマでよくできてるんだけど、そういうかんじのは無いんだ!


なんていうか、シンプルにして、ただシンプルなだけじゃなく、引き算の美学みたいな


いっその事、真っ白に作ってみようかな

現実というのは、ややこしいものなんじゃないだろうか? 

現実とはややこしいものなのではないだろうか?
事実は小説より奇なりというが、小説の方が奇とは誰が決めたんだろう?
そんな決め付け、現実を売り込みやすく調理しているメディアの方々の思い込みではなかろうか?

決め付けが世の中に横行しているのは、そういうマスゴミの姿勢にも責任の一端はあるのではないだろうか?

マスゴミからしたら、逆だ、多くの人に受ける為にやっているだけだ!というのかもしれないが。

内容は悪くないとしても、本のタイトルでも○○○○マンに明日はない、とか○○○○の危険性を指摘するのはいいけど、それは言い過ぎなんじゃないか?と思うようなのをよく付けたがるようだ。
(○○にしたのは、そんなような意図で付けられたタイトルだったがはっきりした言葉はうろ覚えだったから)

地震が起きてから2〜3ヶ月の比較的早い時期だったかに、元アナウンサーの女の人が、親切な情報とそうでない情報とについて、書いていた。
自分も関わってきてわからないでもないが、というニュアンスもあったような気もするが、ついつい煽ってしまうマスコミの体質と、自分が親切だと思った情報というのは、自分が身内や身近な人に伝えたいと思う情報だ、というような事だった。煽りに煽ればどこまでも煽れるようなショッキングな内容ばかりバレて、不祥事に次ぐ不祥事で、どうしようも無い出来事ばかり続いて、みんな不安なのに、不安に乗じたかのような情報や特集が組まれたり、いや伝えないといけない事だという意見もあるだろうし、中には伝えないといけない情報やそう思って伝えたものもあったのかもしれないけど、何だか入り乱れていて、悲惨な被災地の様子をずっと流していたのを見た被災地の人が、ああいうのより安否確認情報をやってほしいとネットで書いていたりもしたのも見た。
さらに最近ではマスコミではなく不安に付け込む商魂逞しい人も居たりするのか、今日新しくツイッタで私をフォローしてた人のプロフを見たら、HPが載せてあり、水素が体に良いとか水素水がどうたらと・・・、というのと放射能にも効く!とか載せてて、いくら疑似科学っぽくても、見ただけで似非だ!ニセだ!と叩くのもどうかと思ったので、何も言わなかったが、複雑な気持ちになった。
ソースの提示を求めたり、どういう作用でそうなるのかどこかで証明されてるのか、学会に論文は提出されてるのかなどの質問はしても良いのかもしれない。


ちょうど疑似科学の事に触れてしまったが、疑似科学似非科学というものについても、それらを一つ一つ精査して、どこがどういうふうにおかしいのか、科学的でないのか、言及していくのは結構骨が折れる作業だと思う。
科学的でない証明を科学はやる必要はないから、何と言って良いのか、正確にはわからないけど
普通は、棲み分けできていて、害が無いものであれば、いわしの頭も何とやらみたいに、わざわざ権威や本物の科学者が出張ってくる必要も無いのだが、たまに物凄い事が起きていて、何でそんな事になったのか全く理解できないけど、詐欺師的な人に教育機関が引っ掛けられて、冗談のようなビデオが学校で流されていたりする現象もあったりして、さすがに専門家が批判をしていたが、それも色々物議を醸し出していたようだった。
その事は疑似科学という捉え方で良いと自分は思うが、その事だけじゃなくて色んな疑似科学に対して、疑似科学を叩く人たちについての疑問を述べる人や、専門家の中でも頭ごなしに叩くのは如何なものか、という意見もあった。
この辺もパラドックスで、科学的というならきちんと説明すべきだが、そもそも科学は科学的でないものを、科学的でないと証明しなくてはいけない義理は無いのだw 義理と言うか義務と言うか。 そうなんだけど、一般の人の事を本当に思って科学的な考え方を浸透させたいと思っている知に対する深い愛情を持つ人ならそうするかもしれないけど、それは別にしなくても良いことなので、特に権威主義的な人たちは、わざわざしないだろうなと思う。権威を愛する人たちはしないだろうと言った方がいいのかなw

科学に、非科学的なものを科学だと言う疑似科学を、科学的に非科学だと証明しなくてはいけない義務は無いが、ネットでよくある疑似科学を取り上げている時の取り上げ方が、科学的ではないものもあると思う。これらの人たちが口にするのが、「科学には疑似科学を科学的に擬似だと証明しなくてはいけない義務は無い」なんだと思う。しかし、それを見た人への影響を考えると、なぜ科学ではないのかをわかるように説明した方が、良いのではないだろうか?と思わない事も無いが、まあ表現は自由なので何とも言えないとも思う。

疑似科学一つとっても、ここまで入り乱れている。

疑似科学じゃなく、弁護士でも精神病院でも、何でも圧倒的な力の差ができてしまう状態で人と人とが接すると、色々と問題が起こるようで、それについて、また言及する事を仕事にしている人たちが、出張ってきたりして、ますます儲けて自分は大学教授になったりしているという例もあるが、こういう事についても、一面的な捉え方や批判や非難だけでは、どうしようも無い問題もたくさんあると思う。
ジャーナリストたちは、如何にして批判をうまく書く事ができるのか?という事に心を砕くのか、昔から一面的な捉え方が好きなようで、善悪の図式を作ってしまう。

しかし、地獄への道は善意で敷き詰められている

という言葉もあるように、善意だからと言って、必ずしも良い結果が出るとは限らないし、何か問題があるのは悪意があるからとも限らない。
だから、余計怖いと思う。

でも、昔からわかりやすいと思うからなのか、その方が売れると思うからなのか、水戸黄門の悪代官やないんやから〜!!と言いたくなるようなキャラ設定がお好きなようで、イメージ戦略にも余念がない。
うつ病の薬と言うと、依存性があって嵌らせられる。医者や製薬会社は薬売りの悪代官!!! すごい人になると、うつ病の薬と自殺率の増加を結びつけてネットニュースの記事にしていて、データの読み方について、はてぶで突っ込まれていた。それを見たのは他のネットニュースの記者の人のツイッタだった。。。 その人に連絡したり相談する気も無くなった。。。

うつ病の薬については、本当に依存性はあると思うし、のまずに済んだらなるべくのまない方がいいと思うけど、正確な医学的知識を持つ医者が処方して、本人の状態をみて用法用量を守って出している場合もあるので、一概には言えない難しい問題だと思う。

自分としては、なるべくのみたくないので、今回の事で精神的にまいって神経内科に行った時も、漢方薬うつ病の薬と同じ働きをするものを、処方してもらったりしていたが。。。

うつ病の薬については、依存性や危険性もあるが、統合失調症の陽性症状には、薬はかなり効果的だし、服用は必要なような事が、統合失調症の陽性症状について語っている掲示板からも、読み取れるし、統合失調症については薬を受け入れて病気の認識を持ってくれるかどうかが重要なようなので、薬は必要だと思った。
それで、ずっと前に、精神病院や精神科医を批判している人のブログをやっている人に、メールでやり取りしかけた時に、その事も併せてブログに載せた方が良いのではないか?サイトの性質上不安定な人も見るだろうから、薬=危ない!と刷り込まれてしまったら良くない場合もあるのではないか?と送ったら

返事が来なくなった。。。


ということもありました。。。。。


これだって、事実は小説より奇なりな事も、多々あり、入り乱れた世界が構築されていると思う。


弁護士に関しても、私がツイッタで、「弁護士憎けりゃ袈裟まで憎い」という造語で揶揄したような状態に陥っている人もいると思う。
でも、これも、どういう立場の人が言うかによっても違うと思う。
弁護士自らは、これを言う人たちに対して、揶揄したり鹹かったりは慎むべきではないかと思う。
むしろ謙虚に受け止め、これらの人たちの心のケアも含め取り組むべきではないかと思う。

しかし、さらに、入り乱れていて皮肉な意味で興味深いと思ったのは、これらの弁護士憎けりゃ袈裟まで憎いという幻の袈裟まで見てしまうような人たちが、力を入れている企画で、ラディフェミ叩きがあるのだが、ラディフェミ被害はあるにしても、ラディフェミに走る人たちの追い詰められた状況もあるのではないかと思うので、単純に叩いていいのかどうか難しい部分もある事なのに叩いている。
自分達の弁護士憎けりゃ袈裟まで憎い状態の状態が進んだのが、一部の事実の捏造まですると言われているラディフェミだとは思わないのだろうか?

男性でもこういうふうに言う人もいる。
http://twitter.com/denzirousann/status/125613385307013120
フェミニンな(特にラディフェミ)人達の抑圧性って彼女らが批判するマチズモをそのままひっくり返しただけに見えることも多いけど、そうなってしまうのにはそれなりの理由があって、だからと言って彼女達の思想主張をそのまま受け入れることは出来ないけど、アレな人扱いしてるだけじゃだめぽ

でも、私はこう思った。知らない人なので返信ではなく、自分で自分用覚えとして、つぶやいといただけだが
http://twitter.com/Tasmanian_good/status/126317550513553
もっともなご意見。でも、元男性で過激な発言「父親はタネとカネを出したにしぎない」をしDVでっちあげてるという疑いだか被害の声も挙がってる性同一性障害弁護士のような人場合は?^^;そんな倒錯的な昔の漫画みたいな人もいるw
(しぎない は すぎない の間違いです。すみません。)


そう、本当にそんな嘘のようなストップ何とか君!みたいな人もいるのだ。この弁護士の事を弁護士批判の一つとして行ってる人もいるが、こういう弁護士がいて迷惑した人もいた、というのは構わないと思うが、だから弁護士は〜・・・という方向に持って行くには、極例すぎると思った。 


このストップ○○○クン弁護士と名づけたくなってしまうほどの倒錯した弁護士さんは、不思議なんだけど、性同一性障害を言いつつ、恋愛対象は男性ではない状態なのだろうか?
あそこまで嫌っていては恋愛対象になどできないと思うのだが (そういう人達を男女どちらについても、今は毛嫌いする人たちとして、名称もできているそうだが、それなのだろうか?)
男のままで、「タネとカネ」という言い方をしていたら、どうなっただろうと想像してみたが、やっぱり変だと思う。責任を放棄して建設的な方向で物事に取り組む事をやめた姿勢とも、捉えられるから。芸術家とかアーチストと言われる人たちの感性に近いのかもしれないが、社会的に責任ある仕事に就くにはどうなのかな?と思わざるを得ないかんじ。。。
女になってしまった事に関しても、自分が女性性を持って生まれて、それによってラディカルなフェミニズムに走らなくてはいけないほどの社会的抑圧やトラウマがあったのではないので、女性性を持った者が受ける待遇−−男性ほど社会的に優遇されてない事、経済的に自立しにくい事などの、社会的不公正や、そのくせ別なところでは、甘甘にしてあって、そのせいで更に経済力を手に入れにくくなっている事などの、社会的文化的構造的な歪み−−を受けたわけではないのに、弁護士に幻の袈裟を見てしまう人たちのように、男憎けりゃ袈裟まで状態になっているかのごとき極論を振りかざし、人を煽動しているが、その責任の一端は元男であるのならば、自分にも還って来る事なのに、女に性転換したから、自分だけは免罪符を手に入れ、煽っている立場に行っているのは、矛盾を通り越していて、倒錯と言って良いと思う。
自分は男性性を持つ者として社会的には、優遇された立場に居たはずである。なんで、そんな人がラディフェミなのか?意味がわからない。

いやぁ、本当に、小説と違って、現実の世の中は入り乱れてますね。。。

週刊誌的に書くとしたら    キチガイじみた行動を実子に取る元教師は元精神病院職員でもあった!?!? みたいになるのかな

養護教諭の後で、早期退職して精神病院で、それもおそらく退職してるはずなので、元精神病院職員と書いたのだが、これではどっちが先かわからないなあ。

限りなく、ドグラマグラ
君はこの恐怖に耐えられるか!!!!

鋭意製作中のロールプレイングゲームのタイトルみたい


ギャグにしても、ちょっと・・・






書きかけのままずっと置いておいてしまった



そういえば、ある身体障害者の人は、障害を笑いにという事を考えたそうだが、それがうまくいけばそれで良いと思うがよっぽど気心の知れた相手じゃないと、難しいのではないかと思う。
かえって相手にも気を遣わせるのではないだろうか?

昔、何とか貧乏さんという言い方を、銭金でよくしていた。
私も”虐待貧乏さん”として出してもらおうかなあと、冗談でだけどふと思った事もあった。わかりにくい虐待、わけのわからない虐待(親と絶縁スレ参照)を広く世間に知ってもらうためには、良いのではないか?とか、このまま誰にも知られずにいては、親に見つかった時に何をされるかわからない最悪また閉じ込められる事もできる状態だから、それを何とかしなくては、とか思ったからだった。
しかし、テレビ的にはどう考えてもタブーな要素を含みすぎだと思った。
それに、バラエティ番組なので、笑いを提供できなくてはいけない。素人が笑わせるのは難しい。だからああいう番組に出る素人は皆「笑われに行く」のだと思う。笑われると言っても、馬鹿にし倒されるという事ではなく、ごく普通に許せる範囲でだろうけど。そういう余裕、笑われる余裕やゆとりがある人を出すんじゃないかと思うので、ごく普通の人間的心情から言って、同情を禁じえない状態の人、では笑うに笑えないので難しいだろうと思った。

上に書いた身障者の人は、かわいそうとか同情とかを払拭したくて、活動してるのだろうけど、優越感に裏打ちされた同情は嫌過ぎるとしても、普通の人間的な心情を持っている人から見て、湿っぽい同情ではなくても、不便だろうなとか、あまり大変大変言ってはかえって良くないかもしれないが、大変だろうなと思う気持ちを持ってしまうのは、仕方のない事ではないだろうか? 
そこまで無理しなくてもいいのに、という気にもなる。
無理ではないのかもしれないが。そういう人なのかもしれない。

この方がある一般の人に言われた事で、昔からこういうふうに苦しめられてきたーーーー!!!(イメージなので、こんな書き方はしてない)と、その人の書いたものを提示してしまっていた。。。
書いた方も、疲れてるんじゃないか?と思ったし(本人さんも精神的に不安定と書いていた)、この方も疲れてるんじゃないか?考えすぎなんじゃないか?と思った。 何だか一周回ってる感があるというか、良い事ばかりを言われていると、本当だろうか?と疑ってしまうのもわからないでもないが、さりとて叩きや煽りが本音だから、聞いててほっとするという状態(にまでは行ってないと思うが)の人がいるとしたら、それはちょっと考えすぎだし疲れてるのではないかと思ってしまう。
誰でも言いそうな事だけど

誰でも、疲れているときや精神的に追い詰められている時は、冷静な判断力も無くすし、ささいな事でもピリピリする状態に陥ってしまう可能性もあると思う。
無茶苦茶な言葉で相手を貶める、訴えれば名誉毀損が成り立つ可能性さえあるような事に対しては、鷹揚に受け止め、温かさを感じるというような見方をしたのも、根底には人を信じる気持ちがあったから、酷いことを言う人たちも、何か足りないものがあるとか、疲れているとか、余裕がなくなってるとか、弱ってるとか、人気に対する妬みかもしれないけど、それさえもそのように受け止めていたのではないのだろうか?
ところが、そうは思えなくなって来ているという事は、どこかで人に対する信頼、人間と言う存在そのものに対する信頼が揺らいでいるのではないだろうか?と思った。
有名な人と言うのは、たくさんの人と接する機会も多い。それ以上に大量の自分は直接知らない人に自分を知られてしまう。大量の知らない人を意識しつつ生活していると、いつの間にか何かが失われていくという事もあるのかもしれないと思った。


書きかけのまま置いておいたせいで、途中から話が変わってきてるなあ
まあ、書き散らし用なので

前の日記内容に関する訂正のような補足  続きがあります。 あそこに書いてた回答者の人は悪くないです。

それも、そこのウェブサービス内に書きました。
自分でも、そんなふうにショックを受ける事にショックを受けたりしました。
よく読んでみたら、心療内科と書いてあるし、精神的にまいったという様子を診断してもらえば、という意味のようで・・・
どうして、それをそんなふうに思ってしまうのか、自分でもショックでした。疲れてるのかもしれません。その前のツイッタのは、向こうが言ってる事は、間接的にこちらの正気を疑ってる事にもなる言葉だし、矛盾もあり、本人さんたち自身が病気の当事者のようだったのだけど、この回答者の人はそんな事はありません。


訂正として書き込んだもの
タイトル 回答者の人は悪くない
どこに書けば適当かわかりませんが。
生活保護の事を書いたかと思ってたら、ブログにも書いたかもしれないけど、わかりにくかったかもしれない。増田に書いたのを貼ったような気もしたけど、貼ってなかったかもしれないし。。。
そこまでわかってなかったから仕方ないですよね。
それに、あの回答は普通に読んだら、頭がおかしいとか正気を疑ってるというんじゃなく、心療内科と書いてある事からも、精神的にまいってる診断や治療を受けたら?という意味でしょうから。。。

そのあたりも、ちょっと・・・
妄想と思われるかもしれないノイローゼとか
頭がおかしいと思われてるんじゃないかと考えすぎて、不安定とか
そんなような症状でもあると思います。
今は、漢方の薬も一応取ってはあるけど、のんでません。通院できなくなったので。
これをのんでいたら、もうちょっと安定しているかもしれないと思います。

ドグラ・マグラをはてな検索

検索してみた。
ドグラ・マグラ的とか、引用する割には、私はちゃんと読んだことがない。
怖くて読めない。
図書館で漫画になっているのを見て、概要はわかったけど、自分の場合とは全然違うけど、漫画を見ても十分おどろおどろしかったので、読むのはあまり気が進まない。

http://d.hatena.ne.jp/sutatin/20100725/1280076027
ここには面白いと書いてある。書評の面白いものそうでもないものも載せてある。こういうふうに書かれていると、面白そうにも見える。
でも、今は読まない。


自分の場合、ドグラ・マグラというより、岡嶋二人さんのクラインの壷 の主人公が「ここは、壷の中か外か?!」と言って苦悩するのに、心理的には近いものがあった。
自分は、助かっているのか助かっていないのかわからない。

逃げてまだ最初のころ、ある街に住んだので、そこの郊外の精神衛生センターへ行った時に、「親はもう入院させないでしょ。お金だってかかるんだし」と言われた。
しかし、前だって、そんな必要があったのかどうか、怪しい状態であるのは実家の隣の人やその前に相談に行っていた機関の人も知っている。(それなのに精神病院の中から電話したら、あなた入りたがってたじゃないと言われたりしたが)そんな状態で入れたのである。確信犯的とここhttp://megalodon.jp/2011-1017-0832-01/ameblo.jp/hi-mawaricom/entry-11048424168.htmlにも書いた。(このブログは今どうなってるかわからない。見る気がしない。この関係者の長みたいな人にツイッタ無言でフォローされてる。ツイッタは無言フォローが基本としてもそれは何も無い場合ではないのだろうか?これだけの事を聞いておいて無反応というのも不自然な気がする。ヲチ用なのではないかという気もする。)

まるで、ストーカーのような偏った愛情に満ち満ちているのに、ストーカーという言葉を遣っただけで、被害妄想!と決め付けられたりした。
ストーカーというのは比喩で、心理状態を現すのに用いただけで、親に付きまとわれたりしてるわけではありませんので。

偏ったというより、異常なとか異様なという形容の方が、ぴったりくるだろうと思う人も多いのではないだろうか?

私が昔、公的機関に相談に行くと、もっと酷い例があるとでも言いたいのか、近親強姦された人の話をされたりした。
守秘義務は良いのか?! 公務員!?!  

実の子供でも、欲望の対象にする人もいるのだから、色んな親がいると思う。
これも、子育ては大変だから、で済まされるのだろうかw